Aperture 3.0.1

autumnAperture 3のアップデートが出たので早速、これを適用して、少しは安定度も上がったろうというわけで新しく実装された「人々」機能やら「撮影地」機能やらを試してみる。「人々」はiPhotoのそれと同じ技術を使っているのではないかと思っていたのだけれど、インターフェースは微妙に変わっていて、何より認識に関しては一段、デリケートな様子で、平たくいうとiPhotoとは誤認識のパターンが大きく異なり、床の模様だの、犬の後ろ頭だのを拾ってしまったりする。実際のところアルゴリズムが変わっているのかどうかはわからないにして。犬の顔を認識してくれると有り難いのだけれど、当然のことながら、これは華麗にスルー。案外、面白いのはフォトブックを作る機能で、簡単な編集も可能だし、 用意されているレイアウトが上質なので、 適当に配置するだけで見映えのするものが出来る感じ。PDF に出力してみるのも面白いかも知れない。

iPhone

いろいろと面倒なことの多い月曜日。
最近、iPhoneの普及がクリティカルマスを越えたのではないかと思うことがたびたびあって、本日もアーリーマジョリティの中でもレイトマジョリティに属するのではあるまいかと思われるユーザーを発見。

引き続きAperture 3

引き続きAperture 3を弄っている。画像の調整機能にプリセットが加わって、これまでPhotoshopプラグインのExposure 2でやっていた作業がほぼ不要になるのではないかというくらい便利。ライブラリをiPhotoから移すと、プレビューを作る作業に数時間かかり、これまで100GBだったサイズが1.3倍ほど大きくなるし、TimeMachineによる再バックアップ、ボールドの作成などをこなさなければならないため移行に関わる作業は一昼夜に及ぶ難事業ではあるものの、環境そのものは洗練が進んでいて何かと快適である。

Aperture 3

Aperture 3を試している。iPhotoのライブラリをうまく読み込めずに異常終了してしまうとか、初期のバージョンにありがちな問題はあるにして、64ビット化された動作はぐりぐりと力強いトルクを感じるもので、iPhotoのように内蔵ファンの回転数が上がってくる必死な感じもなくて好感触。ライブラリの管理に柔軟性があるところも有り難く、何しろ全てを一箇所にというiPhotoのコンセプトはよいとして、そうはいってもというのが現実であるからには。

iPad

typhoonで、やはり朝の5時に目が覚めるのである。こういう時、いつも『ブラック・ジャック』にあった体内時計のエピソードを思い出す。
結構な長さのキーノートのストリーミングを通しで見るという律儀なことをやって、何だか分かったような気になっている。PA Semiを買収したときから取り沙汰されて来た通り、自前のプロセッサを載せてきたあたりが興味深い。必要ならばそれに適したモノを作る、という態度は水平分業の中で多くのメーカーが失ってしまったものであって、特に日本の製造業は居住まいを正さなければなるまい。
タブレットPCは多くの会社が試みては失敗してきた分野だが、常にそうであったように、今回もAppleは大筋において成功するであろう。ただし、日本市場においてはiTunes Storeの貧弱ぶりという課題があって、ブラウジングに重点をおいたデバイスだけに、このあたりはハードルとなるのではないか。いや、USのコンテンツが普通に買えるようになるだけでいい。(願望)

Google Mobile 音声認識

日本語入力の底力にも恐れ入ったという感じがしたものだが、新たに日本語に対応した音声認識の精度ときたらびっくりするほどで、それなりに喋ってやればほぼ正しく認識されるという。東京都特許許可局、とか言っても通ってしまうこの体験は無論、予想を越えたものであり、ちょっと空恐ろしいくらい。

HDD換装

ふと思い立ってMacBookのHDDを500GBのWestern Digitalに換装。作業自体は難しいところは何もなくて、100円ショップで見つけて買っておいたT8のトルクスドライバがようやく役に立った。再インストール後の空きスペースは350GBであり、家で稼働状態にあるHDDの総容量は3TBとなって、確かに馬鹿げているといえば馬鹿げているが、いずれ趣味の話である。