ブラザーズ・サン

Netflixで『ブラザーズ・サン』を観る。主にロスを舞台として、しかし『孫家兄弟』というタイトルがしっくりスタイルの8話構成で、予想以上に面白いのでつい観てしまう。ミシェル=ヨーが出ているけれど、チャールズとブルースのサン兄弟が楽しい。アクションと、ときどき表出する肉体損壊のグロテスクさがアクセントになっているのだけれど、このあたりには台湾映画の雰囲気があって、拷問の場面は心底恐ろしい。ややや。

世界は政治の季節に向かっている。フランスでは右翼勢力の台頭の流れがいよいよ強まり、振り子のように揺れながら制されてきた勢いが、今度ばかりは振り切れるのではないかと考えられている。グローバル化と平和の経済的帰結として格差を生み、敗者を敗者として留め置く新自由主義的な考え方が必然的に国家をディストピア化して、国民は極端な政策を渇望するようになる。民主主義国家と専制的な国家が経済を原理として別ルートから同じ山を登るということを、興味深く歴史は語ることになるだろう。

追跡装置

渡世の事情で岡谷まで出かけ、諏訪湖畔を車で通り過ぎる。日中の気温は30度を超えているのだけれど、来週末のトライアスロンの案内が掲示され、ボランティアが環境整備活動を行っている長閑な日曜日の午前。暑さもあって諏訪湖の水藻の生育スピードは速く、既に湖水を緑色にしている気もするのだが、ここをスイムしようという一群の人たちは正しく超人という境地にある。

これまた渡世の事情でAirPodsは二組持っていて、異なるApple IDで運用しているものを持ち歩いているのだけれど、iOSの最近のアップデートでは不審なデバイスが一緒に移動していることを知らせてくれるようになっていて、この手の位置検出が追跡装置として非常に優れていることを再認識せざるを得ない。かつてのスパイ映画の発想はモダン化されたうえで今や日常にあって、こうした通報機能が実装されている以上はストーカー的な事案も深刻になっているということであろう。

THE FIRST SLAM DUNK

『THE FIRST SLAM DUNK』を観る。世代的にはちょうど頃合いだったはずだけれど、ほとんど履修しないまま、ミーム化したセリフには聞き覚えがあるというくらい。井上雄彦が監督・脚本という本格的な映画化は聞いていた通り、アニメーションとしての品質が高く、通常の試合時間を大きく上回る124分という尺も長くない。

『おいハンサム!!2』の配信は今週が最終回。例によってさまざまな教訓を残して物語はいったんの区切りとなったとはいえ、生活は続く。いや、劇場版に続く。楽しみ。

気候危機

この日、沖縄では1時間に100ミリ近い雨が降って、この時期の降水量の記録を更新する。道路は濁流に覆われ渦を巻く。

全球では、24年5月は5月としては、過去最高に暑い月だったという話である。それどころか2023年の6月以降、同じように気温の記録を塗り替える状態が続いていて、この期間に観測気温を更新する摂氏52.9度がインドのデリーで観測されたという記事を読む。エルニーニョ現象がそれに拍車をかけたということはあったとして、気温の水準としては1.5度シナリオを僅かに超える実績だということだから、最良のシナリオがもたらす変動はこの期間の気候に近いのではないかと想像できる。平均的に2度、3度と上昇した場合のインパクトはやはり計り難いものがあって、繰り返し大きな波が打ち寄せることになるだろう。

CentOS

WordPressはVPSで運用しているのだけれど、OSのCentOS 8がサポート切れの扱いとなって従来の設定ではdnfでエラーが出るようになったので、とりあえずアプリケーションのアップデートができるように暫定策でこれを回避する。もちろん、OSのアップデートをしなければいけないのだけれど、レガシーを抱えたくなる業務の気持ちというのはよくわかる。

Giiirl

Apple MusicのNew Music Mixはよく聴くアーティストの新曲をほどよく紹介してくれる優れたプレイリスト機能で、ときどき使っているのだけれど、この度はUQiYOの新曲が盛り込まれていて久しぶりにこの人の音楽を聴く。その曲風に変わりはないが、のびのびとして持ち味のよく出た作品で心地いい。

この日、関東は猛暑日になったらしいけれど、6月半ばでの記録として、やはりこの夏の先行きが心配になると思わざるを得ない。どこまでも長く、いつ終わるとも知れぬ夏がいよいよ始まるということであろうか。

演出

『虎に翼』での花岡の訃報の場面では、あまりに絵画的な画面構成と静止による冒険的な演出に震えたものだが、今クールのドラマでは『アンメット』もぞくぞくするような話の紡ぎ方をして、最新話ではクライマックスの突発性の健忘の場面で思わず声が出る。これらは単にそのシーンだけのものではなく、エピソードの蓄積と文脈のつながりの果てに出現したものであって、奇跡のようなものである。このようにクオリティの高いドラマを楽しみにすることができる幸福よ。