多摩中央

訳あって八王子から橋本を経て京王多摩センターに降り立つ。クリスマス仕様のイルミネーションはどこにでもあるものだけれど、ドラマ撮影の聖地でもある駅前は既視感とともに広がる。そう思って少し歩くと、誘導灯による規制が行われていて今まさに撮影が行われているのである。これを立ち止まって眺めようという向きがないのは、都会の無関心というものだろうか。いや、ここは多摩市の中央あたりということになるのだろうが。

ジャーナル

AppleのOSのアップデートが来ていて、iOSとiPadOSを17.2に更新する。ジャーナルアプリが標準装備になったというので早速、これを運用してみようかと思ったのだけれど今回、追加されたのはiOS版のみのようなのである。iPhoneでジャーナリングをするのは、主に入力面が厳しいので当面、選択肢にはなりそうにない。残念なことである。

この日、前日の夜から雨。気温は10度以上もあって、この季節としては異例の暖かさとなっている。当分、雪は降りそうにない。

YAH YAH YAH

『ブラッシュアップライフ』を最後まで観る。いや、面白い。そしてこの周回の果て、回帰していくこの物語構造に泣く。よく出来ているのである。氷川あさみとバディになってからの展開が殊更好き。

この日、内閣と自民党の支持率は急速な低下を記録する。終わりの始まりは10年前にあったようなものなので、その評価には全く違和感がない。問題はどのような勢力がその穴を埋めるかということで、劣化版の自民党が蝟集する政界であれば、やや危険な時間帯にあると考えておいた方がいい。

ブラッシュアップライフ

『ブラッシュアップライフ』を観る。時間ものの派生形態としての人生n周ものというアイディアが面白いし、何かとよくできていて、ついつい見てしまう。安藤サクラにあて書きされたであろうバカリズムの脚本の出来は秀逸というほかないし、その安藤サクラも楽しそうに演じている。何度生まれ変わっても、さほどチートになっていないのがいいし、それを納得させる安藤サクラの説得力よ。早くも終盤の展開に感心するくらい進捗している。

終わらない週末

『終わらない週末』を観る。終末ものといってもいろいろなトーンがあるものだけれど、実際のところ、世界が滅びに向かうのであれば情報から隔絶され、何が何だかわからないうちに酷い目に遭うに違いないのである。まぁ、そんな感じの話なので、物語的なカタルシスはほとんどなく、何かの暗示のようなエピソードが続く。ジュリア=ロバーツとイーサン=ホーク、マハーシャラ=アリというキャストに、よく合っていると思えなくもない。オバマ大統領も読んだ小説が原作ということだけれど、そちらは未読。去年の年末はアダム=ドライヴァー主演の『ホワイト・ノイズ』という作品がリリースされていたけれど、Netflixには最近、年の暮れになるとポストモダニズムっぽい終末作品を出してくるというパターンがあるみたい。正直言って、楽しめたのは『ドント・ルックアップ」だけという気がしなくもない。

この週末、アメリカはガザでの人道的停戦を求める安保理決議案に拒否権を行使する。

多様性

『モナーク』の最新話を観る。ゴジラ襲来の傷跡の残るサンフランシスコへ物語の舞台は移り、ケイトは自身のトラウマに対峙することになる。同性の恋人との後悔の残る別れという設定が、妙に『インベージョン』と重なって見えて、多様性の描写が一様にしかならない表現の本質的な窮屈さを垣間見る。一方、軍に封鎖された地域への潜入というエピソードは、神域への侵入という物語類型をイメージさせるもので、猫に導かれて窮地を脱出するあたりは悪くない。結局のところ、怪獣ものの面白さは、物語類型をどれほど織り込めるかではないかとさえ思ったものである。

忘年会

たぶん今年最後の飲み会。基本的にはあまり社交を好まないタチである。飲み放題なのに持ち込みのブランディーを中心に呑んで、中華なのに紹興酒にはありつけず、週末でもないので何だか不完全燃焼気味に駅のホームでは汁粉の缶を飲む。冬。

この日、国連総長は50年ぶりに国連憲章の第99条を発動して、安全保障理事会にガザの人道的な危機の解決を促す。国の為政を極右に明け渡すということの帰結を我々はこのように理解しなければならない。