親戚の葬儀で横浜へ。朝、7時過ぎに出発して圏央道には朝方の渋滞もあって3時間ほどかかって実家。親戚も高齢化がすすんでいるのだが、数えれば30年ぶりの再会出会っても、一族であるというだけで普通に話をすることができるというのは不思議。そして都会では葬儀のスケジュールがかなり立て込んでいるらしく、しかしこれは超高齢化社会の定常状態ではあるのだろう。往復で400キロ以上を走って22時前、帰宅。明日も仕事である。
減量
今年の健康診断の結果が不本意だったので、夏前から減量に取り組み、現在までに5キロ近く痩せるという大成果を上げているのだけれど、その主な手法が昼食をカロリーメイトひと袋にするという荒業かつパサパサしたもので、普通はいいのだが、稼働が夜遅くまで続くとさすがに力が抜けてくる。ハラへった。
この日、バイデン大統領がイスラエルを訪問する予定であることが明らかになる。イランに対する牽制が続く格好で、事態は中東を舞台にした代理戦争の様相を呈している。
エスカレート
この日、イランはイスラエルのガザ侵攻について、自国の関与を仄めかして牽制する。アメリカが逐次的に送り込んでいる空母打撃群が抑止力として機能しているかはよくわからない時間帯にある。
イスラエルの主力が南部に展開する状況において、レバノンとの北部国境沿いでの第2戦線の展開、イランの本格的な関与となれば後世の歴史家はこれを第5次中東戦争と記録することになるだろう。ウクライナと中東の同時戦争は、その混乱の出来だけで世界の様相を一変させるに違いない。これは大変、恐ろしいことだが本日現在、その瀬戸際にあることは間違いないのである。
民族浄化
というわけで『鵼の碑』を読み終える。17年ぶりの新刊だろうが、作中の時間では『姑獲鳥の夏』から2、3年というスパンでの話なので、むしろ実時間の経過が解せない。既にあった原稿が単に出版されていなかっただけではないかというくらいに地続きの印象で、文体にも揺らぎというものがない。予告の次回作がいつの刊行になるのかに関心は移っている。
ガザの人道回廊の設置にイスラエルが合意したという話が報じられる。境界付近には地上戦の開始を待つ部隊が集結しつつあるというとこだが、それを待ち構える大部隊は存在しないのである。
鵼の碑
発売日に入手していた『鵼の碑』が、いっこうに捗っていなかったのだけれど、この週末に一気に進捗して残りわずか。百鬼夜行シリーズで深まってきた構造が踏襲されていて、登場人物の物語が次々、交錯する後半は、これこれという感じになっている。大向こうから掛け声もあろうかという展開で、ここまでくると止まらない。
パリは燃えているか
この日、イスラエルはガザ地区北部の110万人について24時間以内の避難を勧告する。いやしかし、どこへ、どうやって。その間にも空爆は続いているのだが、南部ガザの荒地に脱出できたとして、その人々はどうなるのか。物理的に実現不可能な勧告の上、北部ガザの殲滅を企図している挙国一致政権と、報復的にパリの炎上を望んだ独裁者の違いについて考えている。
肩こり
ただ一本、埋伏してまだ抜歯していない親不知が残っているのだけれど、このところその存在を意識する微妙な痛みがあって、いよいよこれは抜かなければならないかと思っていたのである。そうこうしているうち、首から肩のあたりに妙な痛みが生じて、凝りほぐしているうち、あれこれの痛痒が退けていく。どうやら歯の痛みも肩こりから来ていたらしいのだが、難儀なことである。ちょっとガタが来ているみたい。
この日、イスラエルがシリアの空港を攻撃したという報が流れる。ネタニヤフが自身の右派政権と中道野党からなる戦時内閣の組成を宣言し、本格的な戦争の遂行体制に移行しているなかでの戦線拡大であれば、いったいどこまで戦火が広がるか予想がつかない。落とし所というものが見当たらないなかで、中東はどこに向かっていくのか。